ひめゆり平和祈念資料館

ひめゆり平和祈念資料館」を訪ねる。「ひめゆり」は植物の花のひめゆりとは関係なく、沖縄県女子師範学校沖縄県立第一高等女学校は、それぞれに校友会誌があった。一高女は「乙姫」、師範は「白百合」であった。両校が併置されることによって、校友会誌もひとつになり、両方の名前の 一部(「乙姫」の「姫」と「白百合」の「百合」)を合わせて「姫百合」となった。ひらがなで「ひめゆり」を使うようになったのは戦後のことだそうだ。
圧巻は、広い壁三面に200余名の犠牲者の遺影とそれ ぞれの犠牲状況を記載したフォトパネルが展示されている空間で、生き残りの生徒たちの証言の本29冊も並べられている。これを前には、何人も戦争を肯定できないだろう。犠牲状況からは、皇民化教育により洗脳されていたのだろうか、本来死ななくても済んだだろうと思われる事例も多く見受けられる。事実、第32軍の牛島司令官(陸軍中将)は玉砕指令を最後に発している。