嵐が丘(1988/西友)

ポレポレ東中野吉田喜重 変貌の倫理」で『嵐が丘』(監督:吉田喜重)を鑑賞する。この特集のなかで是非観たかった作品だ。
ブロンテ原作の「嵐が丘(Wuthering Heights)」を舞台を日本の中世に設定し、絹と鬼丸の日本的情念を様式的に演出している。原作とは、まったく違う作品で「荒野」と「世代を超えた愛憎劇」が共通しているぐらいか。演出が極めて形式的なので、松田優作、田中裕子らの俳優の影が薄いのが残念だが、これは狙い通りなのだろう。監督には珍しい殺陣もある異色時代劇。松田優作の形相が凄く、とくにラストは「鬼」のようだ。

この作品の映画化は、長年の夢だった。G・バタイユの「エミリー・ブロンテ論」に触発され、舞台を中世の日本に置き換え、時代劇としたのだが、単なる翻案ではない。日常的と思われがちな現代を、非日常化すること。このとき、無垢なる「いま」があらわになる。(チラシの監督のコメントから)