情炎 (1967/現代映画)

ポレポレ東中野の「吉田喜重 変貌の倫理」で『情炎』(監督:吉田喜重)を鑑賞する。パイプ椅子が並べられるほどの盛況ぶりで面食らう。ブームなのか。
本作は立原正秋『白い罌粟』の映画化。メロドラマだが、やはり難解な演出になっている。ダンプに轢かれるシーンが何度出てくるが、何を暗示しているのか。自堕落な女の末路の暗喩であろうか。高橋悦史労務者が板についている。岡田茉莉子に乱暴するシーンで、芝居が狭い空間に押し込められる構図がおもしろいし、ドアが閉しまると音声が途切れるあたりもうまい。
岡田茉莉子とその母の情人であった木村功が関わりを持つあたりは、男女を入れ替えるが、川端康成千羽鶴』を想起させる。

女性には、男性から注がれる欲望に対し、見返す自由がある。ひとりの女がその自由さを、研ぎ澄まされた武器に変えて挑む。それは社会の底辺にいる男と触れ合うことであった。しかし、やがて訪れる虚しさを前にたじろぐ女の、その瞬間の表情を捉えようとした。(監督のコメントから)

開演前、吉田監督と岡田茉莉子がロビーでサインに応じていた。前の上映作品では舞台挨拶したらしい。